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2023年2月28日(火)

織の魅力とは?手織歴約40年、鵠沼アートフェスティバル会長に迫る

アイキャッチ画像

鵠沼海岸にある「手紡ぎ手織り工房」の浅井祥子さんにインタビューしました!

【プロフィール】
手紡ぎ手織り工房代表。
鵠沼アートフェスティバル会長。

鵠沼生まれ鵠沼育ち。
小さい頃から「何かを作ることを学びたい」という想いが漠然とあり、大学で女子美の工芸科へ入学。
4年間みっちり手織と染めを学ぶ。
大学卒業後は、テキスタイルデザイナーとして4年間働き、その後手織り教室を開講。

教室を開いてから約30年間。鵠沼で手織が学べる場所を長く提供してくれている浅井さん。
Locomoの活動も色々と支援してくださり、日頃からお世話になっている方です。

今回は、手織り教室や作家としての活動について、経緯や想いなどを伺いました!

浅井さんの写真

手織り教室を開くまでのことを教えてくれますか?


手織り教室を開いたのは20代後半の頃。
その前、大学で4年間手織りを学んだ後は、生地をデザインするテキスタイルデザイナーの仕事を4年間していました。
自分の作ったデザインが売れていくのは楽しい部分もあったんですが、なんだかんだで工場の方達とのやり取りでパソコンを多く使う部分もあり、「全然手仕事と違うんじゃん!」と感じ始め、、(笑)!

それから仕事を辞めて初心に帰りたくなり北海道の牧場に住み込んだ時期もありました。
羊の毛を買って、洗って、紡いで糸にして。。
そんな日々を過ごしながら家庭の事情もありつつ、また鵠沼に戻ってきたんです。

羊の写真

そこから教室を開くきっかけは?


鵠沼に戻ってきた時にまた就職するかとか色々どうするか考えてました。
ちょうどその頃に、障害者施設から「 織り機があるんだけど、指導者がいなくて困っています。指導に来てくれませんか?」と声がかかったんです。
その仕事を引き受け、そこで初めて教えることの楽しさを覚えました。

そのことをきっかけに、「織の世界をもっとたくさんの人に知って欲しい」「自分の好きなことを伝えたい」という想いから教室を開いた、そんな感じです^^

手織教室の写真

教室の楽しさや嬉しさはどんな時に感じますか?


生徒さんが自分が思ってもいないようなアイデアを出してくれるんですよ。
「えー!私ならそんな色いれない!」とか思っちゃうわけ。笑

自分が思い付かないようなことを言ってくる。
それが面白くてしょうがない。

そしてそれが形になっていくんです。
自分の作品ではないけれど、それが出来上がっていくのがめちゃくちゃ嬉しいんです。
そういう所に楽しさを感じますかね。

手織教室で糸に触れる浅井さんの写真

教える際に大事にしていることは?


生徒さんがやりたいと思っていることをまず汲み取ることだよね。
作家になりたいのか、趣味でやりたいのかとか、生徒さんそれぞれでやはり違うんです。
「何を楽しみに学びたいと思っているのか」ということを最初にちゃんと理解することですね。

私はマンツーマンで教えるわけだから。
一度に数人来ることはあるけど、お料理教室みたいに同じ料理をガッと教えるわけじゃない。
オーダーメイドの手織教室だね。今思いついちゃったけど。笑

教室だけではなく、作家としても活動されていると聞きました。


作家として作品も作っていますよ。
大きなものだと、六本木国立新美術館の公募展に飾るための作品を作ったりしています。
出品しては、入選することもあれば落とされることもある。
結果がどうなろうが、そこは常にチャレンジしています。
というより、好きだからつくらずにいられないんです。笑

手織作品の写真


時に辞めたいなと思うこともありますよ。
身体を壊しながらやってるんですから^^;
特に膝と腰と肩と首。
昨日も藤沢の整骨院ナギさんにお世話になっていました。笑

作らずにいられない原動力は?


私の場合は、ウワァっと感動したものをアウトプットするのは織の世界なのよ。
それが、絵の人もいるし写真の人もいるし文章にする人もいるけど、すごく感動したことはこの色彩をどう手織の世界で表現しようって思っちゃうの。
それはもう何十年も身についちゃってる。
どうしてそうなるのかは、、、本能的なものだよね(笑)

でもそこからは苦しみますよ笑
デザインをどうするかとか、色をどうするかとか。自分が感じた感動へどう近づけるか。
ものを作る人はみんなそうだと思うけど、そこはもう生みの苦しみ。
「苦しい〜〜!」とか言いながらまた作るのが楽しいんだけどね(笑)

浅井さんの写真

そのような感動を自分で探す努力はしている?


わざわざモチーフを探しにいくことはないですね!
例えば、江の島の方に出た時に朝焼けが綺麗だった、とか新林公園で綺麗な新緑に出会ったりした時に「あーこれっ!」ってなって、そこに向かって突っ走る。

それはもうどうしようもないんです。笑
湧き上がってきちゃったらもうやらずにいられないから。
「きちゃったよ」と思う時もあるわけ。笑
私にこれをできるかな、伝えられるかな。って。

様々な糸の写真

作っている時の楽しさは?


自分が感動したものだったり事柄が色で表現できるところが一番楽しいというかワクワクしますね!
特に、糸を紡ぎ終わって「さあ、これから織るぞ!」っていう瞬間がなんか一番嬉しいわけ。

糸を持つ浅井さんの写真


でも多くの方は、 手織りをしている「姿に憧れて」くるんだけど、 その前にすごく大変な事前準備がある。
織の世界には「忍耐」「集中力」が求められるのよ。
そのさきに素晴らしいものが待っているんだけどね。

教室の先生、作家活動、そして最近では鵠沼アートフェスティバルの会長も務めていますよね。
どのようにして始まったんでしょう?


鵠沼海岸って、「海」と「サーフィン」が有名なの。
でもそれだけじゃないでしょ。と。
昔から芥川龍之介が住み、立原正秋が逗留し、東屋があり、大島渚監督が住んでいらしたり。
そういう文化とかアートとかそういうところもあるでしょ。と。
それに現在も鵠沼にはたくさんの作家さんがいるわけで。

そういう方々で繋がって楽しめたらいいね。というのが始まりです。
ただ、よく勘違いされるんだけど元々はシンガーソングライターのさとうさちこさんと薄井あさこさんが発起人なんです。

2人がまとめてくれる人を探していたみたいで、「浅井さん、会長やってくれませんか?」とうちにやってきたのがきっかけでした。
そこで2人の考えに共感し、取りまとめる役を引き受けました。

「アートで繋がる」鵠沼の文化の発信に少しでも貢献できればと思います。

これからの展望は?


年齢的にそんなものはございません(笑)
ただね、「織って面白そうだな」「一度はやってみたかった」っていう人がいるからその方々にこれまで通り織を学んでもらいたいし、魅力を伝えていきたいです。

80歳を過ぎてから来た人もいるんですよ。「ずっとやってみたかった」って。
やっぱりそういう人がいる限り、自分の体力が続く限りは教えていきたいですね。

話している浅井さんの写真

インタビューを終えて


手織歴は約40年間、プロの道をいく浅井さん。
発する言葉からもその表現力の豊かさから、終始楽しくお話しすることが出来ました。

手織に興味があるって人がいる限り、体力が続く限り、それを教えるが自分の役目。
どっしりと構えている姿には、長年積み上げてきた自信と誇りを感じました^^

興味のある方、ぜひ教室に足を運んでみては?
(体験もあるみたいです。電話でお問い合わせしてみてください。070-6643-5683)

Locomoメンバーと浅井さんの写真

手織教室の写真

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